島の宝観光連盟

【壱岐島】古代とつながる島で、ロマンに浸る

壱岐島は、古代、国際的な王都だった!

近年、「縄文ブーム」と言われるほど、日本の古代に注目が集まっています。
さまざまな研究や発掘調査、最先端技術を使った分析などで、古代人や古代の暮らしぶりなどが新たに明らかになってきているようで、私も興味津々です。
そんな古代ロマンに浸るなら、壱岐島が絶賛おすすめです!

壱岐島は、九州の博多から北西約67kmの玄界灘に位置し、古来、朝鮮半島や中国大陸および九州本土をつなぐ海上交通の要衝で、当時最先端の文物や技術が入る国際的な交易・交流拠点として栄えた王都でした。
島内には、縄文、弥生、古墳時代の遺跡が多く残ります。
その中でも、県内で2番目の広さを誇る深江田原(ふかえたばる)という平野は、弥生時代に形成された大規模な多重環濠集落跡の「原の辻遺跡(はるのつじいせき)」があります。
この遺跡からは、人の顔を模ったような“人面石”のほか、石器、土器、卜骨、鉄製器、青銅器など、朝鮮半島や大陸との交流を裏付ける資料が数多く出土しているのです。

古代の壱岐島は、いったいどんな人が暮らし、どんな暮らしをしていたのでしょうか。
古代ロマンあふれる壱岐島をご紹介いたします!

かつて、3000棟があったとされる一大国(一支国)

「王都」というと、それだけでロマンを感じますよね。
弥生時代の壱岐島については、中国史書の『魏志』倭人伝に「一大国(一支国)」と記され、王都の暮らしぶりが下記のように記されています。

「広さ三百里平方ばかり竹や木の茂みが多く、三千ばかりの家がある。田畑はあるが食料には足らず、海を渡って穀物を買い入れている」

かつて3000棟ほどの住居があり、おそらく多くの人が住んでいたのか食糧が足らず、海を渡って穀物を手に入れていたという当時の姿が浮かびます。
現在は、王都だった原の辻遺跡は「原の辻一支国王都復元公園」が整備され、穀倉、王の館、迎賓場の建物、交易を司る者の家、物見櫓などの17棟が復元されています!(修復中の棟もある)
見逃せないのは、祭儀場の出入り口にある門柱です。
門柱の上には、鳥形の飾りがついていました。
取材させていただくと、「鳥居の起源かもしれません」と伺い、びっくり!

時代の流れで見ると、原の辻遺跡からは、旧石器時代の石器や縄文時代の遺物も発見されています。そして、弥生時代の遺物や遺構からは、「人が定住」したことを裏付ける資料が多く発見されています。
古墳時代に入ると、集落の解体が進み、王都は終焉を迎えたと考えられています。その理由には、船の造船技術と航海技術が向上したことで、交易ルートが変わり、人口が減少していったのではないかと考えられているそうです。

祈り、音楽を聴いた古代人

当時の暮らしを物語る出土品に、人の顔を模した「人面石」があります。
弥生時代後期のもので、国内唯一の発見例だそうです。凝灰岩で作られ、両目は堀りこまれ、口は裏側まで貫通、眉毛と鼻も掘られ、頬は凹んでいる。
ぜひ、本物は「壱岐市立一支国博物館」でご覧あれ。
それにしても、人面石は一体何に使っていたと思いますか?
実は、祖霊を祭る儀式や豊漁豊作を祈願する祭祀において、祭器として用いられたと推測されています。
また、一支国の祭祀では「卜骨」も使用されていたことが判明しています。
『魏志』倭人伝にも、「吉凶の判断は中国における亀卜の法に同じで、熱して骨にできるヒビの入り方で決まる」と記載があります。

弥生時代の祭祀というと、卑弥呼を思い浮かべる人も多いのでは。
祭祀という「祈りの儀式」は、古代から確かに行われていたのですね。


また、遺跡からは、ココヤシから作った椰子笛も見つかっています。
もしかしたら祭祀に使ったかもしれませんし、ただ音を聴いて楽しんでいたのかもしれませんね。
壱岐市立一支国博物館」では、貴重な古代の資料や歴史、古代人の暮らしぶりなどを学ぶことができますので、ぜひ立ち寄ってみてください!

日本最古のイエネコ発祥地!

島北西部の刈田院川上流にある標高30m~90mの丘陵地に、弥生時代の環濠集落であるカラカミ遺跡があります。
ここでは、日本最古の地上式の炉跡が発見されています!
そして、平成23年には日本最古のイエネコの骨も発掘されました!

これまでイエネコに関する発見では、
・ 13世紀の千葉地東遺跡で発見されたイエネコの骨が日本最古の実物資料だった。
・ 文献資料においては、8世紀代に、経典などをネズミから守るために遣唐使が大陸から日本に持ち込んだのが始まりと考えれていた。
・ 近年の発掘調査で、兵庫県の見野古墳群からネコの足跡がついた6世紀末~7世紀初頭の須恵器が発見され、イエネコの起源が古墳時代まで遡ることが判明した。

ところが、カラカミ遺跡の発見は、それらの歴史を大きく塗り替え、弥生時代にはすでにイエネコがいたことがわかりました。
おそらく、渡来人が一支国にイエネコを持ち込んでいたのであろうと。
ネコが大好きな私としては、古代人がネコと一緒に過ごしていた日々を想像するだけで、胸がきゅんきゅんとします。

壱岐市立一支国博物館に、長崎県埋蔵文化財センターが併設されています。
取材というのもあり、イエネコの骨を確認させていただきました。
遙かなる時代を経て、目の前にあるイエネコさん(お骨ですが)!!!!
どんな顔をしていたのか、茶トラだったか、黒ネコだったか、想像がやみませんでした。

カラカミ遺跡の集落もまた、原の辻遺跡とほぼ同じ時期に衰退、解体されたようです。

古代船が着いた内海湾の聖なる島で、ご祈祷体験!

内海湾(うちめわん)は、一支国の王都である原の辻を訪れる船が往来していた玄関口でした。
入港した船は、小舟に乗り換えて幡鉾川を上って原の辻へと向かったそうです。

この内海湾には、神の島と崇められてきた小島があり、干潮時になると島へ渡る道が出現します。
この現象だけでみても神秘的で、パワースポットとして人気です。
そして有難いことに、小島に鎮座する小島神社に宮司さんと一緒に参拝して、ご祈祷をしていただく体験ができます。
私も島々の神様へ、お祈りをしました。
申し込みは、壱岐市観光連盟にお問合せしてくださいね!

壱岐島へは、博多港からだと、九州郵船のジェットフォイル(超高速船)で約1時間で行くことができます。
長崎空港から壱岐空港まで飛行機でも行けますが、古代ロマンを感じるならば、かつて古代船が往来していたであろう海を越えていくのもおすすめです!
壱岐島は、これでもまだ大部分が発掘されていないとか。いつか、古代史の歴史が塗り変わる大きな発見があるかもしれません!